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Seventy-five O'clock Jump

毎日おもしろいこと書けるほど星のめぐりはよくないんですよ。

ありえたかもしれない自分について考えることについての是非について

お話

じいちゃんが「過去に if 節は出てこない」って僕の夢の中で言ってた。

かもしれないよね。ハァ?

 

最近ちょっとげんきない

……人生は分かれ道でいっぱい、取捨選択の連続だという。僕もそう思う。今まででもやたら選択してきている。時には自分の意思がなく、流されるままに選択してしまったときも何度か、いや割とあった気がするけど、それでも選択は選択であって、選んだからには文句言っちゃダメなのである。残さず食べなきゃダメなのである。選ばなかった未来にとやかく口を出しても詮無きことなのである。

しかしそうは言っても、僕は生まれてこのかた、そんなマッチョな生き方はしてないもので、ときたまお外でお酒を飲んで、ふんわりぼんやり歩いて帰って、ふー、と自室のマイ玉座に腰かけると、くらくらとそういうことを考えたくなってしまったりするのです。

 

シンキングタイムです

どうだろう。ありえたかもしれない自分だよ。いったいぜんたい何人いるんだろう。「駅まで2303歩で行った未来」と「駅まで2309歩で行った未来」みたいに細かい差異まで全部考えるなら、数える意味がないくらいにたくさんいるだろうけど、とりあえず大まかに、今までの人生のイベントごとに考えると…………あー、それでも想像のしようがないな……だんだん面倒になってきた。

こういうことを考えるときって、「ありえたかもしれない、輝かしい道を進んでいる自分」つまり「あの時ああしていたら今ごろは!」といった、ほんのり後悔まじりのものがしばしば想像されている印象があるのだけれど、ぼくはそれに加えて、「ありえたかもしれない、投げ出したくなる道を進んでいる自分」つまり「あの時ああしなくてよかったんだな……」といった、冷や汗まじりのものについても想像してみる。

 

急に暗くなる

たとえば、中学生時代にいじめを受けていて、自殺してしまおうかどうかを選択したことがある。吐きそう。またある時は、付き合っていた人に突然フラれたあと、その後の関係を友人とするか他人とするかで悩んだときもある。これも吐きそう。2年前、わずかに就活していたとき、電話で「とりあえず1次選考は合格ですけど……えっ、次、来るんですか?」と言われて行くべきなのかどうか悩んだときもある。マジで吐きそう(行った)。

僕自身に直接関係がないことまで含めれば、大学4年生のときに祖父が亡くなっていなかったら? 小さいときよく遊んでくれていた父の友人が亡くなっていなかったら? ……思い出したら涙でてきた。

 

これでは身が持たない

明るくいこう。たとえば、中学の修学旅行でゲームセンターにこっそり行っていなかったら……? そこで音ゲーに出会っていなかったら……? 高校で音楽の部活に入ろうと思わなかったかもしれない。となると、入った高校でとてもすばらしい部活動(ビッグバンドジャズ)に出会って、その後3年間をとても楽しく過ごし、さらにその後ジャズ以外にもボリボリ音楽を探すようになる、今の僕のいるこの未来がなかったかもしれない。そいつはごめんだ。

もしくは、大学2年生の冬休み、ふと「マフラーほしいな」と思いたたなかったら? 僕の趣味は1つ減っていたでしょう。また、twitter ユーザーがやたらたむろするカフェに一度も行っていなかったら? 秋葉原の中央通りにある、秋葉原らしからぬカフェに入っていなかったら? やはり僕の趣味は1つ減っていたと思う。

もちろん、 twitter を始めていなかったら僕の交友関係はとても狭いままだったし、付き合った女性の人数も2人くらい減る。書いてて変な汗出てる。ええい。 twitter でできた知り合いに Ruby を教えてもらっていなかったら、データの整理が全然できなくて修士論文が書ききれなかったかもしれない。さらに言えば、うちにパソコン……インターネットが来てなかったらどうだったろう。まったく違う性質の人間になっていたかもしれないが、想像のしようがない。さらにさらに言えば、テレビゲーム好きな両親のもとに生まれていなかったら? 弟じゃなくて妹がいたら? はたまた兄や姉がいたら? おっと、さすがにここまで来ると「僕の選択」ではなくなってくるけども、「ありえたかもしれない」という点では同じってことにしよう。

 

おや?

…………ひょっとすると、今の状況って思ったよりも悪くないんじゃないだろうか。幸せなんじゃないか? 気に入ってるんじゃないか?

 

げんきでてきた

正直なところ、気に入ってるんだと思う。辛いことや悲しいことは避けられず、必ず僕に殴りかかってきて、ボコボコに打ちのめされるんだけど、いくらか(ダメージしだいでは相当量の)時間をおくことで、痕こそ残るけど、なんとか落ち着きを取り戻せるんだろう。

そうすることで結局、どの選択肢を選んでいても、僕はその人生をおおかた気に入ってしまうんだと思う(死ぬのはちょっと別だけども)。

 

選んでしまったのならば、それは後からすべて正解になるんだろう。

そうしないと現在の自分を否定することになってしまうんだろう。

 

現在がたのしいのであれば、それまでの過去もたのしいものに見えるし、現在がつらいのであれば、それまでの過去は失敗ばかりに見える……実のところはそれだけのことかもしれないけど、「何を選んでも、じき正解になる」……正確には「何を選んでも、じき正解だったと思えるようになる」だけど、そう構えると、次の選択を少しだけ気楽に考えられるかもしれない。正当化するわけではないことに留意して。

 

酔いがさめてきた

あれっ、朝だ。ていうかこれ、ただの自分語りなんじゃね? という気がしてきたけど、匿名ダイアリーとかでやらないぶん大目にみてほしい。twitter でやったらフォロワがグロス単位で減るわ。