歌詞のある音楽へ接する姿勢について少し変わってきた自分について
今年に入ってから音楽の趣味というか、方向がほんの少し変わったような気がしてる。
具体的には歌詞のある曲の歌詞をまじめに聴くようになってきている気がする。高校から大学あたりは(やってた音楽が音楽だったからか)歌詞のある曲そのものをあんまり聴いてなくて、聴いてても半分聞き流していたのだけど、ここ最近はもうちょいとばかり歌詞に注意を向けるようになってる……と思うのである。
おそらくのところ、当時は「へへ~んだ、歌詞なんてあったところで伝わるもんかい」などと失礼極まりないことを考えていたようで、歌詞がなければ伝わるとでも思っていたらしい。ひどいもんだ。
けれどもそれからいろいろあって、ほんとにいろいろいろいろあって、いくぶん痛みを知るなどしたのち気持ちの構えに変化が起きて*1、音楽のなかの言葉の意味に、意識と注意を向けるようになり、またほんの少しずつ歳をとっているのである……
実際のところ、言葉で気持ちや主張をすべてを伝えるのは不可能なのだろうと思っていて、それは音楽に乗せた歌詞という形でも(多少の効率アップはあるとしても)不可能で、本心から出た言葉でさえ的外れな反応が返ってきてつらくなることもあるけど、それでも、それでも言葉でもって伝えないと何にも伝わらない、という境地までやってきました。精度こそ悪いがきっと一番マシな手段なんだ、言葉って……
"それでも言う、それでも言っていく" ってそれこそ口では簡単に言えるけど、はたして自分にそれができるのやら。嫌われたくないさみしがり屋の目立ちたがり屋はどのように生きていくべきやら。
*1:それでもまだ「丸くなった」とかは言われたくないのである